旅の記憶

2014年5月27日 (火)

大阪ラプソディ

大阪 おもろいなぁ


でっかい どんぶり
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写真とったらあかんて
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グリコ
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自動たこ焼き器

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また、行きとなったわ


 

2005年7月31日 (日)

旅の記憶ⅩⅤ またくるよ! バンコック

今回のタイの旅も明日で終わりだ。
夕暮れが迫っている。
私はチャオプラヤー河のほとりをひとり歩いていた。
あちこちに長い竿を振り出し、魚釣りをする若者がいた。
なにが釣れるのかな。
ぼんやりと釣り人達の姿を眺めていた。
ここちよい風がほほをなでる。

暑いな。
でも毎日だからだいぶ慣れてきた。
それに、携帯の水を飲んでいるから大丈夫だ。

ちょっと用を足したいと思った。
ちょうどお寺がある。
そこは観光地とはかけ離れた名もないような寺だった。

私がその寺の中に入っていくと、
小柄のおじさんが近寄ってくる。
「どうしました?」
「ちょっとトイレをかりたいのですが」
「あぁ、いいですよ。こちらです」

用をすませて出ようと思っていた。
「どちらから?」
「日本からです」
「寺をご案内します。どうぞ、どうぞ」
そのおじさんは寺の管理をしている人の様だった。

おじさんは仏像がたくさん並んでいるところへ私を案内してくれた。
「これらは全て仏様です」
「たくさんありますね」

そこには正座する仏像がたくさん並んでいた。
金箔のものがたくさんあったように思う。
私はおじさんに案内されるまま、境内を見て回った。

一通り見終わると、ベランダのようなところに椅子をだしてくれた。
二人でいろいろと話した。
「私はラオス人です。戦争があったためにタイに逃げてきました」
「たいへんでしたね」
10分くらい談笑しただろうか。

「少しばかり寄付してもらえればありがたいです。
少しですよ。お願いします」
「ああ、いいですよ」

なんとなくそんな流れになっていた。

おじさんは私を案内し、まだ若い坊さんの所へつれていく。
そこには、坊さんに成り立ての中学生くらいの少年が昼寝をしていた。
おじさんは無理やり起こす。
その若い坊さんは眠そうな顔をこすりながら、いやいや起き上がってきた。
「どうぞ」
おじさんは寄付を渡すように促す。
私は100バーツをその坊さんに渡した。
その子坊さんは、眠そうな迷惑そうな顔をしながら、だまって金をうけとり、
また寝入ってしまった。

おじさんはこれを差し上げますと、華やかな紙に包まれたろうそくを
何本もくれる。
「これもどうぞ」
細い竹の線香も何本もくれる。
「これもどうぞ」
ちっさな仏像、金めっきのつくりものを渡してくれる。

「あなたの幸せをお祈りいたします。
どうかあなたのご家族が健康でハピーでいられますように、
願っています。日本に帰ってもどうか幸せがきますように」

おじさんは私の手を両手で握りしめながら、私の目を見つめ
願ってくれる。
「あなたがハピーになれますようにお祈りします」
何度も手を握りあった。

私は思った。
こんなことばをかけてくれる日本人がいるだろうか。
これまでもなかっただろう。
これからもないだろう。
涙がでそうだった。

あのときのことは忘れることはない。
今でも、うちには、貰ったろうそくと線香が、ダンボールの中に
仕舞われている。
使われることは無いかも知れない。
きっと。

2005年7月17日 (日)

旅の記憶ⅩⅣ タクシー・ドライバー

バンコクへ来たら、ムエタイの試合を観たいと思っていた。
ムエタイとはタイ式キックボクシングである。
二つの大きなスタジアム
「ラーチャダムヌーン・スタジアム」と
「ルンピニー・スタジアム」が、日替わりで交代に開催しているようだ。
今日は「ラーチャダムヌーン・スタジアム」のほうだった。

軽く手を挙げるとタクシーは止まった。
私はいつもメーター制のタクシーを拾うことにしている。
「ラーチャダムヌーン・スタジアムへ」
「うっ」
タクシーは走り出した。
「ラーチャダムヌーンはムエタイやってるぞ!」
「ムエタイ観たいんだけど」
「おおっ!! ムエタイ観るのか?」
急にドライバーの顔が楽しくなっている。
「ルンピニー!! ラーチャダムヌーン !!」
ドライバーはボクシングの構えをとり、しゅっしゅっとやっている。
ハンドルから手が...。

チャオプラヤー河の近くでタクシーを拾った。
ドライバーに行き先を告げると
「分かった」
と言った。
少しだけ走ると、ドライバーが話しかけてくる。
「たばこ買ってもいいか?」
「いいよ」
道路脇にクルマを止め、そのドライバーは、歩いてお目当ての店に入っていった。
なかなか帰ってこない。
10分以上経ったと思う。
そのうち、にこにことしながら戻ってきた。
話し込んでいたようである。

バンコクにも競馬場があるようで、ちょっと見学に行ってみようと思った。
タクシーを拾うと、明らかにインド人と分かるドライバーだった。
「競馬場へ」
「おっ」
タクシーは走り出した。

途中、観光案内がてら、
「あれが○○王宮だよ」
「ほほぅ」
「あれが○○記念塔だ」
「ほほぅ」
親切に説明してくれる。

そうこうしているうちに、なんか目的の方へ向かってないように思えてきた。

「競馬場へ行きたいんだけど...」
ドライバーは
「○○見るかい?」
また別の場所を見せようと、進行方向を変えている。

市内観光にタクシーを拾ったのではない。
「直接競馬場へ行ってくれ!」
それでも、ドライバーは私の言うことを聞かず、次の場所を案内しようとする。

頭にきた。
「競馬場へ行けぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
私は大声で怒鳴った。

「おおっ。競馬やるのか? 今日はやってる日だ」

なんとか目的地までたどり着いた。
メーター制のタクシーなので、ドライバーはメーターの方を合図する。
くそっ。と思いながらも支払いはするしかない。
細かい額がなかったので、大きい額で払った。
当然おつりは貰うものだと思っている。

「いいだろう?」
ドライバーは、大きな澄んだ目で私を見つめながら、ささやいた。

「・・・」
私は興奮していたが、そのままタクシーを後にした。

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2005年7月 9日 (土)

旅の記憶ⅩⅢ 食堂「さくら」

チェンマイにも日本料理の店がある。

ガイドブックを頼りにぼつぼつ路地を歩き、やっとその店
を見つけることができた。
レストランという紹介だったが、実際には田舎食堂
といったほうがいいようだ。

入り口では、四人か五人のひとが縁台で将棋のような
ものをやっている。
日本語で話しているのが聞こえた。

私はその店の中に入っていった。
店内はテーブルが四つか五つある程度の小さな構えだった。
ビールと簡単な丼ものを注文し、できるのを待っていた。

注文したものが出され、ぼそぼそと食べていると、となりの
テーブルに日本人の家族が入ってきて、店の主人と気軽に話を交わしている。
こっちにはだいぶ滞在しているようだ。
家族での会話がすぐ横で聞こえてくるが、どこかで聞いたことのある方言だ。

「どちらから?」
と私は訊ねた。

驚いたことに、その家族は自分と同郷の人だった。
自分より少し年上の旦那さんと奥さん。そして小さな娘だった。
タイの民芸品や骨董品を買い入れ、日本に持ち帰って売るというような
商売をしているそうだ。
ここにきて出会うとは奇遇だと思った。

「はなび はねぇ」
その小さな娘は父親に何か話しかけている。
はなび という名前のようだ。
ぱっと開く花火の綺麗さをつけたのか。
でも、すぐ消えてしまうが...。

そのうち、その父親である男は、
「知り合いが近くにいるんだけど、行ってみる?」
という。
「行ってみようか」

その男のバイクが近くに止めてあり、後ろに積んで貰い、
目的の場所へ向かった。

十分ほど走ったろうか、ひろびろとして、庭のある建物の敷地に
入っていった。
平屋のアパートのようだ。
バイクから降りると、その人の知り合いらしい男がいた。
顔はだいぶ日焼けして、年齢も自分と同じくらいだ。
目が眠そうにしている印象だった。

三人でその建物の縁側で話していたが、その知り合いの男は
日本人で、チェンマイに長期滞在しているようだ。
日本の冬にスキー場などでアルバイトし、こがねが溜まるとこっち
にきてぼんやりして過ごしているという。
また、タイ語を学ぶため現地の女性を家庭教師に雇っているそうだ。
時給100バーツと言っていた。

父親である男は言った。
「さっきの店。表に何人か居たろう。
関わらないほうがいいと思って君を連れ出したんだよ」
さっきの店の日本人は何か旅行者を見つけると、よからぬこと
をするというような話だった。

そのうち、先ほどの店で会った奥さんも現れた。
家族でこのアパートを借りているようだ。
しばらく皆で談笑して、ゆったりとしたときを過ごした。

そのうち彼らはタバコに何やら入れて吸い始めた。
「やってみる?」

マリファナの類だと思う。
興味はあったが、
「いいよ」
私は断った。
白い粉が着ているものに付いて、空港で見つかったりしたら、
人生変わるから...。
と思った。

これ以上話していても、自分の旅が止まってしまうと思った。

「それじゃ。ありがとう。これで」

そこで皆と別れた。

日本人でこっちに長期滞在し、ぼんやり過ごしている人は結構いるようだ。
目的もなく(多分そうだろうな)。
日本の社会が嫌になってしまったのかな、と思った。

後日、故郷へ帰ったとき、その男の店という教えられた場所を探したが、
見つからなかった。

2005年7月 3日 (日)

旅の記憶ⅩⅡ チェンマイ行深夜急行

バンコクのファランポーン駅で切符を買った。
「チェンマイまで、寝台」
「上?下?」
駅員は訊いてくる。
「上」
「500バーツ」
もう夕刻になっていたと思う。
私は車両に乗り込み、切符に書かれたシート番号を探した。
ここだな。
でも、先客がいる。
4人がけのボックス席になっているので、同じボックスなのかな。
と思っていた。
隣に座ろうと思い寄っていくと、先客のおばさんが何やら言っている。
席を間違えたのかな。チェックしたけど間違えてない。
そのおばさんは言った。

「まだ客がいないから、そっち(反対側)へ座ってれば」
「混んできたら代わればいいよ」
たしかに混んではいない。
「ちぇっ。ずうずうしいなぁ」

乗客もあまりいないまま、列車は動きだした。
さっきのおばさんはどこへ行ったか、姿が見えない。
あれは乗客だったの?
私は自分の席に戻った。

列車はスピードを速める。
夕暮れの中をがたごとと進んでいく。
扇風機がかたかたと音を立てて回っている。
そのうち、車掌が回ってきた。
食事の注文をとってるようだ。
そうかぁ。食事が車内でてきるんだ。
ピールとその他二品たのんだ。
車掌がテーブルの準備をし始めた。
座っている4人がけのボックスに上手に
テーブルをこしらえる。
へ~え。こんなことできるんだ。

車内の料理はあまり良くなかったと思う。
でも、いい感じで列車は進んでいく。
暖かい風が窓から入り、夕暮れの移り行く風景が、なんともいえない
旅情を感じさせる。

だいぶ暗くなってくると、車掌がベッドの準備をしてくれる。
私は疲れた体で横になると、すぐに眠ってしまった。
夜は何度か列車の揺れに目を覚ましたが、そのうち辺りは明るくなり、
朝を迎えた。

チェンマイ駅に降りると、水道の蛇口があったのでそこで顔を洗い、
タオルで拭いていた。
兄ちゃんが寄ってきて、また何やら言っている。

「今日のホテルは?」
「決めてないよ」
「ここどう。○○ゲストハウス」

凄く安いけど、清潔そうな宿の写真を見せてくれる。

「いいよ。自分で探すから...」
「他の客に言ったら?」

「・・・」

「他いない...」

周りをみると、客は自分ひとりのようだ。
その兄ちゃんとは目を合わせて別れた。
彼が、寂しそうな顔をしていたのを憶えている。

私は、チェンマイ駅から、ぼつぼつとあてもなく歩き始めた。

2005年6月19日 (日)

旅の記憶XI ようこそ上海

上海へ初めての旅。

和平飯店に宿をとり、街を散策に出た。
ぼつぼつと歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「どこから来たの」
「日本」
「どこ行くの?」
「とくに決めてないよ」

声を掛けてきた相手は中国人だが、日本語もかなり話せるようだ。
「自分は船乗りで、よく海外に行くんだよ。日本にも行ったよ」
といいながら、写真の貼ってあるパスポートを見せる。
なにやら、にこにこと愛想のいい人だった。
怪しげだが、悪そうな男には見えない。
一緒につられて歩くことになった。

「ちょっとそこ寄っていかない?」
薬屋に誘っているようだ。
「これ知ってる? 日本でもよく売ってるやつ」
なんだか見覚えのあるものだった。
健康ドリンクをすすめているようだ。
日本でよくコマーシャルやっているものだ。
それは安いものだったのでつられて飲んでみた。
特にうまくも、まずくもない。

「なんか買いたいものないの?案内するよ」
「特にないけど、なんかいいもの売ってないかな?」

その男はあてがあるらしく、案内してくれるようだ。

一緒に行ったのは、骨董品の類を路上で販売している地域だった。
その男は路上で並べてある商品を見ながら、売り手の男と何やら
現地の言葉で話している。
「これは中国の明の時代のもので、なかなか手に入らないものらしい」
「これは、国外へは持ち出せないものだよ」
などど説明してくれる。
たくさんの売り手の男が盛んに自分に売りつけようと迫ってくるのを
制止してくれる。
気を遣ってくれてるようだ。

そんな会話をしながら、そのいったいをぐるりと回った。
その男は路地でふと立ち止まり、こう言った。
「なにかいいものあった?」
「あの墨買ってみようか」
自分の父親の趣味の書道具をお土産にしようかと考えていた。
「MAXいくらまでなら出せる?」
「う~ん。1千元かなぁ」

その男はこう言う。
「ちょっと待っててくれる。日本人がいたら
高くふっかけられるから自分ひとりで交渉してくる」
と、ひとりでその売り場へ向かった。

しばらくすると、その男はにこにこしながら戻ってきた。
「交渉して、千元のところを、9百50元にまけさせたよ」
「へ~え。うまくやってくれたなぁ」

その男がおつりの50元を返してきたが、私はお礼にと受け
取らなかった。

日本に戻って、その墨がどの程度の値打ちのものか、池袋にある
骨董品屋へもって行き、鑑定してもらった。

「中国で買ったのですか。
あっ、これは最近のものですね。いくらで買いました。
いまは電子レンジを使ってわざとひびをいれて、古く見せて売ってる
ことがよくあるんですよ」

むなくその悪い船乗りだったなぁ、と思っている。
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ほじほじ

2005年6月12日 (日)

旅の記憶Ⅹ 快適シャワー

ラオスに近いタイ北部の町ノンカーイへ行って見ようと思った
のは、なんだか風変わりな、仏教のモニュメントがあるという
ことをガイドブックで読んだからだ。
バンコクから飛行機に乗り、コンケーンという町に着いた。
特に珍しいもののない街中をぶらぶらとしたあと、コンケーン
駅に向かった。
駅ではノンカーイ行きの列車に乗るのにだいぶ待ち時間があり、
私は駅舎の中でくつろいでいた。

そのうち列車の時間も迫ってきたので、駅員に切符を頼んだ。
なんだかおつりが多かった。1千バーツ出したのに、おつりは
それを超えていた。私はその駅員に五百バーツ札が入ってるよ。
と、親切に教えてあげた。百バーツと五百バーツを間違えたようだ。
その駅員は恥ずかしそうに、笑いながらおつりを取り替えていた。

ノンカーイに着いたら、さて宿探し。
宿なんてすぐ見つかるだろうと思っていたが、なかなか。
ちょうど年末で、西洋人がたくさん来ている。
初日の出を見ようと観光に来ているようだ。

あてにしていた宿は全て満員。
3宿も当ったが、どこもいっぱいだった。
最後におんぼろの宿でもいいか、とあたってみたが、そこすら
だめだった。
きょうは野宿になるのかなぁ。
困っていると、そのおんぼろ宿の若い少年が、○○のとこへ行って
みれば、と自分をそこに案内してくれた。
その宿はさらにオンボロだった。
真っ黒に日焼けしたおやじが、
「とまるのかい?」
と言った。
「ええ」
と答えた。
「こっちへ」
まずは部屋を見せてくれるようだ。
見せてもらった部屋は、お世辞にも清潔とはいえない。
ありゃりゃ~。という感じである。
「いくら?」
「百バーツ。どう?」
もう選んでいる場合ではない。
他にないからここに泊まるしかない。
「いいよ」
というと
真っ黒く日焼けしたおやじは、にっこりとして鍵を渡してくれた。

さて、共同シャワーがあるな、ちょっと入ろうか。
シャワー室のシャワーの蛇口をひねると、ゆっくりと水が出てくる。
まっいいか、これでも汗だらけの体を洗える。
見ると横にタンクがあり、水がいっぱい溜まっていた。風呂かな?
よく見ると、なにやら小さい生き物がいっぱいうごめいている。
それは、ぼうふらの大群だった。
私は、そのまま体を洗って、部屋にもどり、夜の街に出かけた。

翌朝、メコン河のほとりまで歩いていくと、しゃれた???レストラン
が並んでいる。私は立ち寄り、なにやら注文して、レストランの
オバちゃんと会話しながら、ゆったりとしたメコン河のながれを眺
めていた。
メコンの流れはゆったりと、黄色く濁っている。
源流はチベットらしい。長い道のりを流れてくるのだろうな。

街中を歩いていると、レンタルサイクル屋があった。
私はかごの付いたチャリをレンタルし、郊外へサイクリングに
出かけた。ママちゃりで。(それしかなかったから)
だいぶ走ったと思う。10数キロ走ったろう。当初の目的地である
モニュメントに向かっていた。
途中で畑の道に紛れ込んだ。
畑仕事をしている夫婦らしき人に声を掛ける。
「ワット○○?!」
畑仕事をしていた中年の人が、思いっきりこちらに向かって走ってくる。
凄い勢いだ。
「????」
私はガイドブックの絵を指しながら、場所を訊ねた。
「こう行ってこう」
彼は指差しながら一所懸命教えてくれた。
「ありがとう」
私は目的地に辿り付くことができた。
あたりはもう夕暮れ時だったように記憶している。

目指した場所には、おっきくて、何やら人口の恐竜のような、化け物
のようなつくりものがいっぱい並んでいた。
これって仏教寺院なのかなぁ。なんでこんなもの作ったのかなぁ。
よく分からない世界だった。

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また行くことはないと思っている。

2005年5月29日 (日)

旅の記憶Ⅸ アリババおじさん

マラッカへはクアラルンプールのバスステーションから
ムラカゆきというバスに乗った。

途中はほこりが舞うが、舗装道路だったのを憶えている。
隣の席のおばちゃんが飴玉をくれたのも記憶にある。
ゴム園もたくさん見えた。

マラッカに到着して、その日の宿探し。
道が分からなくて、その辺の人に訊ねるが、現地の言葉
は分からない。
でも、地図を頼りに探していると、予定していたホテルに
行くことはできた。
部屋を頼むと、すぐにOKの返事で、そこに宿泊することに決定。

さて、町に出ようか。ちょっと腹も減ったな。
おっ、あそこに麺屋台がある。ここにしよう。

一つね。と店の人に指一本指すと、分かったという返事がきたので、
テーブルに掛けて待っていた。
だが、けっこうな時間待ったのに注文したものは来ない。
カウンターに行ってみた。
すると近くにいたおっちゃんが
「たのんだ?」
という。
「たのんだ」
と返した。
えっ、それ日本語じゃないか。
おじさんは注文のものが来るように、確認してくれた。

そのおじさんと一緒に、テーブルで麺を食べながら会話した。
そのおじさんは戦時中日本軍の料理係をやっていたことがあり、
日本語が堪能らしい。
その人は日本の観光客の間で有名らしく、
「地球の歩き方」というガイドブックに写真入りで紹介されて
いる、アリババおじさんという人らしい。
人力車で観光案内をして生計を立てているということだった。

たのもうかな。ついでだ。

人力車で町を案内して貰った。
「これがわしの若い頃だよ」
写真を見せてくれる。
人力車を一所懸命漕ぎながら、あれはカソリックの教会。
あれはインドの寺院。ポルトガル人の居住区。サンチャゴ砦。
あれはジャックフルーツ、あれはドリアン。

かなり長い時間案内してもらった。
花の咲き誇る小高い山にも登った。
そこからはマラッカ海峡が一望のもとで、なんともいえない
ようないい眺めだった。
大型タンカーの行きかうのが見える。

坂道になるとそのおじさんの足は止まった。
さすがに70歳くらいになるとこの坂を上るのは無理だろう。
私は降りて、後ろから人力車を押してあげた。
勢いよく車は進んでゆく。
自分が押してやればよかった...

そうこうするうちに自分のホテルに着いた。
さよなら。またくるよ。
おじさんの笑顔が印象的だった。

後に私の知り合いがマラッカに旅行し、アリババおじさんの
その後を確認してくれた。
同じく人力車をやっている、アリババおじさんの友達という
人は、こう言ったそうだ。
「彼は亡くなったよ」

悲しい話である。

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(記憶がうつろなので、描写がうまくできなくてすいません)

2005年5月22日 (日)

旅の記憶Ⅷ 空港にて

杭州から上海へもどるときの話。
空港ではチェックインカウンターに皆が並んでいる。
私も列に並んでいた。同じ列には日本人がおり、
どこから来たの、どこいくの、などと話し会っていた。
そのうち、係り員が受付ブースに現れた。
長いこと待たされたけど、やっとチェックインか。
とカウンターに向かった。
と思ったら、いままで大人しく並んでいた大勢の客が、
わぁ~っと、いつせいにカウンターににじり寄ってくる。
次から次からパスポートをもった手が飛び出してくる。
先ほどまで並んでいた列はもうない。めちゃくちゃである。
係り員は並べ並べと叫ぶ。
それでも客はどんどんカウンターに寄ってくる。
これでは、チェックインは進まない。
いっぺんにできないだろうが。

チェックインも終わった、さて、飛行機に乗ろうか。
皆が並んでいる後ろの列に並んだ。バスに乗る要領だ。

だいぶ待っていると、そのうち近くにいた先ほどの日本人が声を
かけてきた。
「兄ちゃん、がんばれよ。その列は北京行きだよ。
さっきから見ていたけど、黙っていようかと思っていたんだけどね。」
旅慣れたおやじだった。

2005年5月15日 (日)

旅の記憶Ⅶ 仏罰金

ガイドブックに紹介されている、杭州のある寺に行った。
特に珍しいものは感じなかったが、記念に寺の正面の写真を
一枚。二枚。

すると警備員なのか警察官なのか、若い男がなにやら強い口調
で言いながら近づいてくる。
何を言っているのかしばらく分からなかったが、どうやら写真を
撮ったことを責めているようだ。
その男は寺の方を指差している。
よく見ると
「勿・・撮・・影・・」
というような張り紙がある。

若い男は、してやったりというような顔をして
「ちょっとこい」
と合図しながら、私を人影のない建物の隅へ誘った。
私を方を真顔でにらみながら、なにやら説明しているが、私が
良くないことをしたので、何かしろと言っている。
私は不安になってきた。
そして、紙に書いてみた。
「罰金?」
相手はうなづいた。
私はしばらく考えていたが、
「何元?」
と訊いてみた。
すると、その男はもう一人の男を呼んできて、何やら相談している。
そして、二人でうなづき合った後、
「50元」
と言った。
なんでこんなことになるのだろう。
写真撮っただけじゃないか。注意だけでいいだろうが...。
切れそうになった。
だが、今日の夕方には上海行きの飛行機に乗ることになっている。
ここでもめて、時間を費やすことはできない。
しかたない。言うとおりにするしかないか、と思った。
50元払った。
男はすました顔で立ち去ろうとした。
「ちょっと待てよ」
紙に書いた。
「罰金証明書?」
男は首を振った。
私はちょっとにらんでやった。罰金払ったのだから、支払い証明書
を交わすのがルールだろう。
男の顔はそれまで厳格な表情だったのに、きょとんとして、不安な
顔に変わっていた。すっかり威圧感は消えている。
反撃したかったが、私はそこまでにした。
50元はあの二人のポケットマネーになるのだろうな。いい稼ぎだ。

のちに現地の人から聞いた話だと、このようなことは、日常当たり前
にあるんだそうな。

中国では、写真を撮らないのがいいかも知れない。

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