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2005年5月

2005年5月29日 (日)

旅の記憶Ⅸ アリババおじさん

マラッカへはクアラルンプールのバスステーションから
ムラカゆきというバスに乗った。

途中はほこりが舞うが、舗装道路だったのを憶えている。
隣の席のおばちゃんが飴玉をくれたのも記憶にある。
ゴム園もたくさん見えた。

マラッカに到着して、その日の宿探し。
道が分からなくて、その辺の人に訊ねるが、現地の言葉
は分からない。
でも、地図を頼りに探していると、予定していたホテルに
行くことはできた。
部屋を頼むと、すぐにOKの返事で、そこに宿泊することに決定。

さて、町に出ようか。ちょっと腹も減ったな。
おっ、あそこに麺屋台がある。ここにしよう。

一つね。と店の人に指一本指すと、分かったという返事がきたので、
テーブルに掛けて待っていた。
だが、けっこうな時間待ったのに注文したものは来ない。
カウンターに行ってみた。
すると近くにいたおっちゃんが
「たのんだ?」
という。
「たのんだ」
と返した。
えっ、それ日本語じゃないか。
おじさんは注文のものが来るように、確認してくれた。

そのおじさんと一緒に、テーブルで麺を食べながら会話した。
そのおじさんは戦時中日本軍の料理係をやっていたことがあり、
日本語が堪能らしい。
その人は日本の観光客の間で有名らしく、
「地球の歩き方」というガイドブックに写真入りで紹介されて
いる、アリババおじさんという人らしい。
人力車で観光案内をして生計を立てているということだった。

たのもうかな。ついでだ。

人力車で町を案内して貰った。
「これがわしの若い頃だよ」
写真を見せてくれる。
人力車を一所懸命漕ぎながら、あれはカソリックの教会。
あれはインドの寺院。ポルトガル人の居住区。サンチャゴ砦。
あれはジャックフルーツ、あれはドリアン。

かなり長い時間案内してもらった。
花の咲き誇る小高い山にも登った。
そこからはマラッカ海峡が一望のもとで、なんともいえない
ようないい眺めだった。
大型タンカーの行きかうのが見える。

坂道になるとそのおじさんの足は止まった。
さすがに70歳くらいになるとこの坂を上るのは無理だろう。
私は降りて、後ろから人力車を押してあげた。
勢いよく車は進んでゆく。
自分が押してやればよかった...

そうこうするうちに自分のホテルに着いた。
さよなら。またくるよ。
おじさんの笑顔が印象的だった。

後に私の知り合いがマラッカに旅行し、アリババおじさんの
その後を確認してくれた。
同じく人力車をやっている、アリババおじさんの友達という
人は、こう言ったそうだ。
「彼は亡くなったよ」

悲しい話である。

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(記憶がうつろなので、描写がうまくできなくてすいません)

2005年5月22日 (日)

旅の記憶Ⅷ 空港にて

杭州から上海へもどるときの話。
空港ではチェックインカウンターに皆が並んでいる。
私も列に並んでいた。同じ列には日本人がおり、
どこから来たの、どこいくの、などと話し会っていた。
そのうち、係り員が受付ブースに現れた。
長いこと待たされたけど、やっとチェックインか。
とカウンターに向かった。
と思ったら、いままで大人しく並んでいた大勢の客が、
わぁ~っと、いつせいにカウンターににじり寄ってくる。
次から次からパスポートをもった手が飛び出してくる。
先ほどまで並んでいた列はもうない。めちゃくちゃである。
係り員は並べ並べと叫ぶ。
それでも客はどんどんカウンターに寄ってくる。
これでは、チェックインは進まない。
いっぺんにできないだろうが。

チェックインも終わった、さて、飛行機に乗ろうか。
皆が並んでいる後ろの列に並んだ。バスに乗る要領だ。

だいぶ待っていると、そのうち近くにいた先ほどの日本人が声を
かけてきた。
「兄ちゃん、がんばれよ。その列は北京行きだよ。
さっきから見ていたけど、黙っていようかと思っていたんだけどね。」
旅慣れたおやじだった。

2005年5月15日 (日)

旅の記憶Ⅶ 仏罰金

ガイドブックに紹介されている、杭州のある寺に行った。
特に珍しいものは感じなかったが、記念に寺の正面の写真を
一枚。二枚。

すると警備員なのか警察官なのか、若い男がなにやら強い口調
で言いながら近づいてくる。
何を言っているのかしばらく分からなかったが、どうやら写真を
撮ったことを責めているようだ。
その男は寺の方を指差している。
よく見ると
「勿・・撮・・影・・」
というような張り紙がある。

若い男は、してやったりというような顔をして
「ちょっとこい」
と合図しながら、私を人影のない建物の隅へ誘った。
私を方を真顔でにらみながら、なにやら説明しているが、私が
良くないことをしたので、何かしろと言っている。
私は不安になってきた。
そして、紙に書いてみた。
「罰金?」
相手はうなづいた。
私はしばらく考えていたが、
「何元?」
と訊いてみた。
すると、その男はもう一人の男を呼んできて、何やら相談している。
そして、二人でうなづき合った後、
「50元」
と言った。
なんでこんなことになるのだろう。
写真撮っただけじゃないか。注意だけでいいだろうが...。
切れそうになった。
だが、今日の夕方には上海行きの飛行機に乗ることになっている。
ここでもめて、時間を費やすことはできない。
しかたない。言うとおりにするしかないか、と思った。
50元払った。
男はすました顔で立ち去ろうとした。
「ちょっと待てよ」
紙に書いた。
「罰金証明書?」
男は首を振った。
私はちょっとにらんでやった。罰金払ったのだから、支払い証明書
を交わすのがルールだろう。
男の顔はそれまで厳格な表情だったのに、きょとんとして、不安な
顔に変わっていた。すっかり威圧感は消えている。
反撃したかったが、私はそこまでにした。
50元はあの二人のポケットマネーになるのだろうな。いい稼ぎだ。

のちに現地の人から聞いた話だと、このようなことは、日常当たり前
にあるんだそうな。

中国では、写真を撮らないのがいいかも知れない。

2005年5月14日 (土)

旅の記憶Ⅵ 杭州夜話

もう10年ほど前になるかなあ。
中国の杭州へ行ったときのことです。
上海から列車で行くことになりました。
知り合いと二人だったのですが、列車の中で思いもよらず
日本人のビジネスマンと現地中国の仕事関係の人と四人が同じ
席になっていました。
その人達は仕事で杭州へ向かうところだったようで、連れの
中国人は日本語も話せることから、いろいろと話が盛り上がった
のを憶えています。
偶然にも、その日宿泊するホテルも同じということで驚きました。
もちろんその日は、一緒に行動することになりました。

目的地に列車が到着した頃は予定よりもだいぶ遅れており、
すでに辺りは真っ暗でした。
杭州駅からホテルまで行くのに、迎えなどは頼んでないため、容易
に交通手段がなく、四人で散々歩き回った末、やっとタクシー(もどき)
を捕まえて、ホテルへ行くことができたのです。
言葉が分からないため、一緒の中国人がいなかったら、もっと迷って
いたのは間違いないと思います。多分朝まで駅にいたかもしれません。

ホテルから四人で食事に出かけたのですが、西湖名物の料理などを
四人で囲み、楽しい夜を過ごしました。
そのとき、連れの中国人がレストランのウェイトレスに月給がいくらか
尋ねると、500元と答えながら不満そうな顔をしていたのを憶えています。

2005年5月 8日 (日)

旅の記憶Ⅴ 安ホテル

ホーチミンにとった宿は、安ホテルだった。
といってもバックパッカーが自慢する貧乏旅の安宿ではない。
かといって、日本人の観光旅行者がよく利用する高級ホテル
でもない。
そのホテルの自分が泊まった部屋には窓がなかった。
四角い部屋は壁しかなく、外の景色など見られない、薄暗い
電気がともるだけだった。
こんなとこに5泊も予約した自分もここでいいのかな、と少し後悔
したのだった。
フロントにいる二人の従業員はとても愛想がよく、自分が朝出
かけるときは「おはよっ」と日本語で声をかけてくれる。
それ以外の日本語は知らないようだったが...。
夜寝られれるだけでいいと思っていたから、そんな宿でも十分
だった。
5日間そこに宿泊し、私は朝から夜まで街に出かけていった。
5泊した後、チェックインとなり、計算してもらった。
請求された額が予測より少なかった。なんか安いなと思ったが、
そのまま精算した。
後々、あらためて計算すると、4泊分の額だったように思う。
サービスだったのか、計算ミスだったのか、いまでは知る由もない。

2005年5月 7日 (土)

旅の記憶Ⅳ クチのトンネル

クチのトンネルはベトナム戦争時代の爪痕で、ベトナム兵士が米軍と戦
うために山に掘った長い穴の基地です。
ホーチミン市内のシン・カフェという喫茶店のようなところで、クチの
ツアーをやっています。私は30人ほどのバスツアーに参加しました。
周りは西洋人ばかりで、日本人は自分一人だったように記憶しています。
ホーチミン市内から2時間くらいで現地に着きます。
途中で食事休憩がありました。
現地では、ベトナム兵士が掘った落とし穴があり、そこに敵が落ちると
尖った竹やりが一斉に体を突き通すというような、すさまじい武器も展
示されていました。

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穴の入り口は落ち葉で隠されており、知らない人には見つからないよう
になっていました。

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そして係員の誘導で穴に入ったのですが、中は凄く狭く、体一つで壁面
すれすれといった様子で、距離もかなり長くなっています。
くねくねと曲がり、上がったり、下がったりと大変です。時々広くなっ
ている場所もあり、そこで生活できるようになっていたそうです。

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一緒にたくさんの人が入ったのですが、一列になり皆はあはあ息をしな
がら進んで行きます。
閉所恐怖症の人は辛いので避けたほうがいいでしょう。
出口に出るまで20~30分程かかったように思います。
Tシャツは泥ですっかり汚れてしまいました。

2005年5月 4日 (水)

旅の記憶Ⅲ フートー競馬場

以前、NHKの「アジア発見」という番組で、ホーチミンの競馬場を
紹介していた。
行ってみたいと思い、バイクタクシーで競馬場まで頼んだのだが、
ドライバーはよく場所が分からないらしい。
近くなったところで降ろしてもらい、私は歩いて探していた。
とある路地に入って、人を見つけたので訊いてみた。
「競馬場はどっちですか?」
「これから俺らも行くところだ。一緒に行くか?」
ということになった。
都合10人あまりの集団で、バイクで行くことになった。
わたしは、知らないうちにバイクの後ろに乗っかっていた。
「すりが多いから気をつけろよ。金目のものはズボンの前
ポケットに入れとくんだ。」
入り口で、親切に男は教えてくれた。
競馬場では皆で酒盛りになり、次々とビールを開けていった。
少年らもいっぱい寄ってきて、わいわい騒いでいる。
凄く盛り上がった。
でも、馬券はまったく当らずだった。
彼らは鉄鋼関係の会社のメンバーだったようだ。
レースが終わった後、
「街まで送ってやる」
と言われた。
みんなで、私の宿泊している安ホテル迄バイクで送ってくれるようだ。
ホテルの近く迄送ってくれたが、彼らは近くの食堂(露店)で待っている
から、後で会おうということになった。
私はホテルで着替えて、約束した食堂に行った。
彼らの人数は20人を超えていた。
彼らの子供や奥さんまで一緒だった。
皆で盛り上がり、楽しい夜となった。
さて、もうお開きとしようか。
勘定はどうするのかと思っていると、
「俺ら競馬でスって、金ないんだ」
と次々に言ってくる。

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結局、私は皆の分を払わされた。
帰りに「気をつけて帰れよ」なんて言ってしまったが、
なんとも腹立たしいような、悔しいような感じの夜だった。

もう、こっちの連中と仲良くするのはやめようと思った。

旅の記憶Ⅱ シクロ

ホーチミンのシクロ(人力車)はぼったくりばかりだから、
利用しないようにとガイドブックでよく読んでいた。
昼時メコン川のほとりを歩いていると、若い男がしきりに
自分に話しかけてくる。しばらく無視していたけど、
いつまでもくっついてくる。
よく訊いてみると、シクロに乗らないかといっているようだ。
ガイドブックに書いてあったことを思い出してはいたけど、
ちょうど宿泊しているホテルに忘れ物をして出てしまっていた。
「ちょっとホテルまで戻って、またここに戻ってきたらいくら?」
と訊いてみた。
「3ドルでいい?」
「3ドルでいいよ」
というので、乗ってみることに。
途中男は、私のカメラの持ち方は危険だ、ひったくられるよ、
などと気を遣ってくれる。
シーツを掛けてくれたりとやたらサービスがいい。
あそこは××市場だよと観光案内もしてくれる。
快適快適!。

15分も乗っただろうか、まだ目的のホテルには着いてないのに、
その男は道路脇にシクロをとめた。
男の顔色が、そして目つきが突然変化した。
「あ~い。ワンミニッツワンダラー! サーティミニッツサーティダラー!」
という。
ありゃ、やっぱしあれかぁ。と気持ちを引き締めた。
「ポリスへ行こう」
「えっ、ポ、ポリス?」
「い、いくらなら払える?」と男は真顔になっている。
私はポケットから紙幣を掴みだした。5ドル紙幣と1ドル紙幣
が何枚か混ざっていた。
とっさに5ドル紙幣を見せてしまった。
男はすばやく私の握った紙幣を奪い取り、なにやら悪態をついている。
なんだこのやろうと思った。
私はきょっと切れたようなふりをして、その男にせまった。
男はじりじりと後ずさりしている。
私もさらにせまっていくと、男はびっくりした形相で走って逃げる。
私も走って追いかけた、男はシクロの止めてあるところ迄戻ると、
シクロを必死になって押しながらこっちに振り返り、さらになにか
言っていた。

その日は、なんとも感じの悪い一日でした。

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2005年5月 3日 (火)

旅の記憶Ⅰ メコン川

だいぶ前、もう7,8年前かな。
ベトナムのホーチミンへ一人で旅したことを思い出します。

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旅の終わり頃、メコン川を見ようと川岸に向かっていたら、顔中
歯だらけのおばちゃんが手招きしながら寄ってきて、なにやら
言っている。
よく聞いてみると、船に乗って観光しないかという誘いだった。
よく分からないまま小さな船に案内された。
するとその娘らしい、日本でいうと小学5年生くらいの娘が
船を漕いで案内してくれるようだ。
途中その娘の妹も乗ってきた。
3人でメコン川の河口をゆっくりと進む。
手漕ぎのオールはぎしぎしと、葦(かな?)がいっぱい生い茂った水路を
ゆっくりと進んでいく。
途中で、漕いでいた船のオールが流され、たちどまってしまう。
近くで泳いでいた娘らの知り合いらしい少年がオールを拾って
舟まで運んでくれる。
やっと舟は動き出した。
娘たちは途中に見える自分たちの家を指差して、
「あれが私の家」
と教えてくれた。
「いい家だね」
と、藁で編んだような自然の家を見ながら自分は答えた。
1時間の約束だったが、1時間30分ほどで出発地点に戻った。
のんびりとした、なんでもないひとときでした。

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ホーチミンの町を歩いていたとき、急に雨が降り出した。
スコールである。
自分は街の小さな通りで、屋根の下で雨を避けていた。
すると自分の立っていた家の中から、おじさんが中に入って休んでいけ、
というようなしぐさをくれた。
ありがたく自分は家の中にはいり、そこに置いてあった椅子に座って、
雨の止むのを待っていた。
おじさんは冷蔵庫からペプシコーラをだして、飲むか? という。
えっ、はいはい貰います、と飲んでいた。
雨も止んだので、礼を言って出ようとすると、2000ドン(20円)請求された。
そのうちは商店だった。

のんびりとした、なんでもないひとときでした。

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